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長篠城跡(Nagashino Castle site)

長篠の戦いは、戦国時代の1575年、三河国長篠城(現・愛知県新城市長篠)をめぐり、3万8千人の織田信長・徳川家康連合軍と、1万5千人の武田勝頼の軍勢が戦った合戦であった。
The Battle of Nagashino took place in 1575 near Nagashino Castle on the plain of Shitaragahara in the Mikawa Province of Japan. 
The allied forces with 38,000 men of Nobunaga Oda and Ieyasu Tokugawa 
fighted against Katuyori Takeda with 15,000 men.

長篠城は三河国と遠江国との国境に近く交通の要衝でした。このため今川氏、武田氏、徳川氏で争奪戦を繰り広げていました。ただ、1560年の桶狭間の戦いで今川義元が織田に攻められ戦死したことで、1569年に今川が滅亡、これにより徳川と武田で決着をつけることになったのです。

陣形

家康は信長に援軍を要請しました。このため家康軍は最前線。信長軍は後方の山中に控えています。両軍が対峙したのは長篠城近隣の広い設楽原です。このためこの戦いは「長篠・設楽原の戦い」と記す場合もあります。

馬防柵」は戦国時代に最強と恐れられていた武田の騎馬軍団に対抗するために信長が考えだした作戦とされています。
攻めてくる武田の騎馬隊を鉄砲で迎え撃ち武田軍を撃破しました。
連合軍が築いた馬防柵の丸太は、信長が岐阜から設楽原へ兵士に一本ずつ持ち運ばせたとされています。